一月の行事

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    一月の行事

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    初荷
    初荷(はつに)とは、年が明けて、最初に工場や倉庫など物流拠点から販売店へ向けて商品(製品)が出荷されること。
    元々は、初売と同じく1月2日に行われていたが、今日では官公庁や多くの企業で業務が開始される1月4日に、新年の初出荷が行われることが多い。
    その際、昔は「初荷」と書かれた旗やのぼりをつけたトラックが走っていたが、高速道路などでの安全性の点から、現在ではほとんどなくなっている。
     
    鷽替え
    鷽替え(うそかえ)とは、主に菅原道真を祭神とする神社(天満宮)において行われる神事である。
    鷽(ウソ)が嘘(うそ)に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘とし、本年は吉となることを祈念して行われる。
    この神事は正月に行われ、太宰府天満宮、亀戸天神社、大阪天満宮などが有名で特に九州では住吉神社や水鏡天満宮等でも行うが、全国的にはポピュラーな神事であるとは言えないだろう。
    木彫りの鷽(ウソ)という鳥の木像を「替えましょ、替えましょ」の掛け声とともに交換しあうことで有名であるが、亀戸天神社では前年神社から受けた削り掛けの鷽(ウソ)の木像を正月に新しいものと交換する。
    太宰府天満宮では1月7日の酉の刻、亀戸天神社では1月24日、25日に行われる。
     
    恵方詣り
    恵方詣り(えほうまいり)は、古来の正月行事の一つ。
    恵方参りとも書く。
    1月1日にその年の恵方の方角にある寺社に参拝してその年の幸福を祈願すること。
    恵方は、毎年変わる。
    今日では廃れている。
    尚、毎年同じ神社に恵方詣りすることも可能である。
    方法は、一度、目標とする神社へ直接向かわず、神社が恵方の方角になる地点まで出向き、そこから神社に参拝するのである。
    これは簡単な方違えになる。
    これにより毎年、同じ氏神に詣る事が出来るとも言われている。


    出初め式

    出初め式
    出初め式(でぞめしき)は、概ね1月上旬に行われる消防職員・消防団によるその年最初の消防訓練である。
    主催については、市町村ごとや消防組合(一部事務組合)ごとなど地域によってさまざまである。
    主に消防関係者で行うため、消防出初め式(しょうぼうでぞめしき)とも呼ばれる。
    主なプログラムについては、放水訓練、消防団・消防自動車のパレード、消防職員・消防団・消防功労者に対する表彰などが行われ、そのほか地域によってさまざまな行事が行われる。
    出初め式の歴史については、江戸時代の1659年(万治2年)1月4日に江戸上野東照宮で行われたのが最初と伝えられる。
     
    七草
    七草(ななくさ)は、人日の節句(1月7日)の朝に、7種の野菜が入った羮を食べる風習のこと。
    本来は七草と書いた場合は秋の七草を指し、小正月1月15日のものも七種と書いて「ななくさ」と読むが、一般には7日正月のものが七草と書かれる。
    現代では本来的意味がわからなくなり、風習だけが形式として残ったことから、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に”七草粥”が食べられるようになったと考えられる。
    春の七種
    春の七種とは以下の7種類の植物である。
    名前 現在の名前 科名
    芹(せり) 芹 セリ科
    薺(なずな) 薺(ぺんぺん草) アブラナ科
    御形(ごぎょう) 母子草(ははこぐさ) キク科
    繁縷(はこべら) 繁縷(??)(はこべ) ナデシコ科
    仏の座(ほとけのざ) 小鬼田平子(こおにたびらこ) キク科
    菘(すずな) 蕪(かぶ) アブラナ科
    蘿蔔(すずしろ) 大根(だいこん) アブラナ科
    (「仏の座」は、シソ科のホトケノザとは別のもの)
    この7種の野菜を刻んで入れた粥(かゆ)を七種粥(七草粥)といい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。
    呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。
    七種は、前日の夜に俎に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。
    囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。
    歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある。
    七種の行事は「子(ね)の日の遊び」とも呼ばれ、正月最初の子の日に野原に出て若菜を摘む風習があった。
    『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。
    これらは水田雑草ないし畑に出現するものばかりである。
    おそらく水田周辺で摘まれたと思われる。


    歴史
    歴史
    中国ではこの日には「七種菜羹」(7種類の野菜を入れた羹(あつもの))を食べて無病を祈る習慣があった。
    日本でも古くから行われており、『延喜式』には餅粥(望粥・もちがゆ)という名称で七種粥が登場する。
    餅粥は毎年1月15日に行われ、粥に入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物だった。
    これを食すれば邪気を払えると考えられていた。
    なお、餅粥の由来については不明な点が多いが、『小野宮年中行事』には弘仁主水式に既に記載されていたと記され、宇多天皇は自らが寛平年間に民間の風習を取り入れて宮中に導入したと記している(『宇多天皇宸記』寛平2年2月30日条)。
    この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場する。
    その後、春先(旧暦の正月は現在の2月初旬ころで春先だった)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また、地方によっても異なっていた。
    現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう、四辻善成による『源氏物語』の注釈書)』の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる。
    江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種粥を食べる儀礼を行っていた。
     
    秋の七草
    伊勢神宮(外宮)の観月会に供えられた秋の七草。
    秋の七草は以下の7種の野草のことである。
    名前 科名
    女郎花(おみなえし) オミナエシ科
    尾花(おばな:薄(すすき)のこと) イネ科
    桔梗(ききょう) キキョウ科
    撫子(なでしこ) ナデシコ科
    藤袴(ふじばかま) キク科
    葛(くず) マメ科
    萩(はぎ) マメ科
    山上憶良が詠んだ以下の2首の歌がその由来とされている(2首目は旋頭歌)。
    秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花(万葉集・巻八 1537)
    萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志(をみなへし) また藤袴 朝貌の花(万葉集・巻八 1538)
    「朝貌の花」が何を指すかについては、朝顔、木槿(むくげ)、桔梗、昼顔など諸説あるが、桔梗とする説が最も有力である。
    春の七種と違い、秋の七草に直接何かをする行事は特にない。
    秋の、野の花が咲き乱れる野原を「花野」(はなの)といい、花野を散策して短歌や俳句を詠むことが、古来より行われていた。
    秋の七草は、それを摘んだり食べたりするものではなく、眺めて楽しむものである。
     
    覚え方
    “おすきなふくは”
       

    鏡開き
    鏡開き
    鏡開き(かがみびらき)とは、正月に年神に供えた鏡餅を割り、雑煮や汁粉に入れて食べ、一家の円満を願う行事である。
    「開き」は「割り」の忌み詞(いみことば)。
    鏡は円満を、開くは末広がりを意味する。
    また、鏡餅を食すことを「歯固め」という。
    これは、硬いものを食べ、歯を丈夫にして、年神様に長寿を祈るためという。
    武家では、鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮にして食し、これを「刃柄(はつか)」を祝うといった。
    この武家社会の風習が一般化したものである。
    刃物で切るのは切腹を連想させるので、手や木鎚で割る。
    また、女性が鏡台に供えた鏡餅を開く事を「初顔」を祝うといい、二十日(はつか)にかける縁語とした。
    また、「切る」「割る」という言葉を避けて「開く」という縁起の良い言葉を使っている。
    元々は松の内が終わる小正月(1月15日 (旧暦))後の1月20日 (旧暦)に行われていたが、徳川家光が亡くなったのが慶安4年(1651年)4月20日 (旧暦)であったため、関東では1月20日を忌日として避け、後に松の内[1]後の1月11日 (旧暦)とされた。
    ゆえにグレゴリオ暦(新暦)になった現在でも関東は松の内1月7日後の1月11日、他の地方では1月20日(二十日正月)に行なわれる。
    なお京都では1月4日に行なわれる。
    これとは別に、祝宴などで酒樽の蓋を木槌で割って開けることを鏡開きと呼ぶ場合があるが、元来は鏡抜きが正しい表現である[2]。
     
    小正月
    小正月(こしょうがつ)とは、正月の望の日(満月の日、旧暦一月十五日)のこと。
    現在は新暦1月15日に行われる場合もある。
    元日を大正月と呼ぶのに対してこのように呼ぶ。
    中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日を月初としていたことの名残りと考えられている。
    なお、この小正月までが本来の松の内であり、関西や近畿地方では現在でも1月15日の小正月までが「松の内」である。
    この日の朝には小豆粥を食べる習慣があった。
    古くは『土佐日記』や『枕草子』などにも、小正月に小豆粥を食べたことが記されている。
    現在でも東北地方の農村などに、左義長の前に小豆粥を食べる習慣が残っている地域がある。
    これらの地域では、元日から小正月の期間中に小豆(あるいは、獣肉を含む赤い色をした食品全般)を食することが禁忌とされている場合が多い。
    年神や祖霊を迎える行事の多い大正月に対し、小正月は豊作祈願などの農業に関連した行事や家庭的な行事が中心となる。
    本来は人日まで竈を休ませるはずの松の内に、忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、女正月という地方もある。
    かつて元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日は成人の日という国民の祝日となった。
    しかし、その名前から小正月との関連がわかりづらく、かつ、小正月自体がなじみが薄いものとなったこともあり、2000年から成人の日は1月第2月曜日に変更されている。

    熟女
    かまくら
    かまくらとは秋田県など日本の降雪地に伝わる小正月の伝統行事。
    雪で作った「家」(雪洞)の中に祭壇を設け、水神を祀る。
    一般には、伝統行事で作られるものに限らず、雪洞自体が「かまくら」と呼ばれる。
    かまくらの語源は、形が竃(かまど)に似ているから「竃蔵」であるとする説や、神の御座所「神座(かみくら)」が転じたものであるとする説などがある。
    小正月の行事の中でも700年の伝統を持つ、美郷町六郷で行われる「六郷のカマクラ行事」は、小正月行事本来の姿が保たれているとして重要無形民俗文化財に指定されている。
     
    行事としての歴史
    京都御所清涼殿で行われていた吉書焼きの左義長の遺風をうつしたものといわれ、鎌倉時代初期に二階堂氏がこの地方の地頭となった時に始まり、豊作祈願の火祭として続けられ、六郷のカマクラ行事の場合、現在の形が定着したのは江戸時代初期の頃といわれている。
    美郷町六郷のほか、秋田県内には仙北市(旧・角館町の火振りかまくら)や横手市などにも伝わっている。
     
    横手のかまくら
    横手のかまくらは「およそ400年の歴史がある、横手を代表するお祭り[1]」とされているが、かまくら自体はあくまでも祭礼ではなく行事であり、昭和天皇ご病気時の「自粛」対象にはならなかっただろうとされている。
    しかし、横手の「雪まつり」(小正月行事)としては、こちらも約280年の歴史があるとされている[1]「ぼんでん」と不可分のものである。
    現在のような行事になったのは明治30年以降のことで、左義長の行事と水神様を祀る行事が合わさり、さらに子供の行事となったものである。
    昭和11年(1936年)にこの地を訪れたドイツ人建築家ブルーノ・タウトが『日本美の再発見』の中で、子供たちが雪洞の中に祭壇を設けて水神様を祀り餅などを食べたり鳥追いの歌を歌ったりして遊んだりする、この素朴で幻想的な情景を「まるで夢の国」と絶賛したこともあり、ますます盛んになり観光客が増えたという。
    しかしその後の生活様式の変化の影響を受け、家々でのかまくら作りは激滅し、モデルかまくらを中心とした観光行事としての色合いが強くなった。
    近年伝統的なかまくらの復興を望む声が出ており、羽黒のかまくら、ウェルカムかまくら、一戸一かまくら運動などが横手市の地域団体によって展開されている。
    その中のウェルカムかまくらは、主にかまくら祭りの前夜祭として、地域の人たちには人気のイベントである。
    しかし、平成19年(2007年)の開催時は暖冬の影響で開催が危ぶまれたが、横手市近隣の山から雪を運搬してくる等といった対応をとり、無事開催された。
    だが、ウェルカムかまくらで使用するはずだった12基のかまくらが10基に減らされる等といった多少の被害はあった。
    横手市役所横手地域局隣に、「かまくら館」があり、毎年雪の入れ替え作業と定休日以外は常時見学することができる。
    氷点下20℃以下の冷凍室の中にかまくら1基が作られており、冷凍室内に入ることもできる。
    冷凍室に入る際は、入口にあるどんぶく(丹前)を着て入らなければならない。
    熟女が参加することの意義を考える。


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